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聖レオ1世教皇教会博士                        記念日 11月 10日


 レオ教皇はシクスト3世教皇のあとを継いで、440年教皇位についた。その在位中に教会の内外に種々の災難が起きたが、その1つはエウティケが、431年のエフェソ公会議で異端とされたネストリウスの邪説を熱心に排斥するあまり、キリストの「単性論」という正反対の極端の説をとなえ始めたことであった。すなわちキリストの人間性も神性の中に溶け込んでしまったという説である。レオ1世はコンスタンチノープルの司教フラヴィアノあての教書で、キリストの性格の中に人性と神性とが結合していることを主張した。
 451年、カルケドンに公会議が開かれると、レオ教皇は使節を送って司会させた。議場で教皇の信仰宣言書が読まれた時、司教達は感動して「これこそ教父達の信仰、これこそ使徒達の信仰である。ペトロがレオ教皇の口を借りて語ったのだ」と異口同音に叫んだという。公会議は「キリストの神性と人性とは混合もなく、変化もなく、分離もなく、区分もなく、その位格に結合している」と決定した。
 452年のフン族がローマに進撃して来た時には、レオは自ら進み出てアッチラ王に交渉して退却させた。
 レオ教皇は在位21年間、真の牧者として活躍し、461年帰天した。